句読点は、各個人に固有のリズムや読み下し方によって異なる物であり、異なっていて構わないのだと悟るようになったのは、英語というものを知って、基本的な文構造が客観的に分り、この客観的な理解から、主語の省略や主述転倒等が自由自在に行われている日本語の文章を半無意識に書いていたそれまでの態度が完全に意識化され、普通的な文構造の基本を踏まえた上で敢えて日本語特有な一種曖昧で無礙(なげ)な文章をいくらか書けるようになってからのことだった?
このように、私が日本語の文章を書くのに“抵抗”を感じないようになったのは、中学に入って英語を学び、その基本を一応マスターしてからのことだったわけだが、何事によらず、自分を知るには他人を知らねばならぬという原理がここでも働いていたのである。自国語をよく知るには外国語を知る必要がある、ということなのだが、はっきりした規範や統一原理がつかめないと行動できず、気質的にも本能的、感情的であるよりは知的であった私の場合には、この原理がことさら強く作用していたのであろう?従って、このことは、特に私の場合に当てはまることで、他の人にはそのままでは当てはまらない事かもしれないが、あるいは程度は誰にも適用できる事だと私は思っている。
日本語しか知らない人の文章と、外国語を一カ国語でもよく知っている人の日本文とでは、特に文章の論理的なまとめ方という点で、一目瞭然の違いがあることは誰でもお気づきであろう。
单词注释
1、捉えられぬ/不能把握,领会不了
2、リズム/节奏
3、一筋縄/用普通的办法,不动脑筋
4、無礙/若无其事的,漫不经心的
5、マスター/掌握,理解
6、ことさら/特别,尤其
7、はまる/正合适,正好嵌入
8、一目瞭然(いちもくりょうぜん)/一目了然
译文
作文
小学时,我非常喜欢写作文,但是怎么也写不好。我对自己写的文章一点信心也没有。其中一个主要的原因就是日语的规范非常暧昧。我凭着孩子的直觉感到,至少用普通的办法是领会不到其内在含义的。实际上,标点符号的用法也是一个原因。用法因人而异,有的时候非常困惑,到底怎样才算正确的,弄也弄不明白,不知道你是否也有同样的记忆?
因为每个人固有的朗读节奏不同,标点符号的用法也因此而不同,其实就算是不同也没关系。我开始明白这一点,也是直到开始学习英语,客观的理解了基本的文法构造之后。这个客观的理解让我完全意识到,一直以来我都是半无意识的写着日语文章,自由自在的运用主语的省略或主谓倒装。只有在理解了普通文章的基本构造的基础上,才敢用日语特有的暧昧若无其事的写几篇文章吧。
因此,我是从进了初中开始学习英语,一下子理解了文章的基本构造之后,才开始感觉到写文章没有障碍了。但不是根据其他事,只是“为了让自己明白,就必须让别人明白”这个原理促使我理解的。想要深刻的理解母语,精通外语是非常必要的。如果认识不到清楚的语言规范和统一原理,就很难进步。比起那些有气质的、有个性的,感性的人来说我属于更有理性的人。对于我来说,这个原理的作用不是尤其强烈吗?因此,这个原理对我来说正好适用,对于其他人有可能不完全适用,但我认为在某种程度上对谁都是适用的。
只知道日语的人写的文章和至少精通一门外语的人写的文章,尤其是理论性的总结,区别一目了然。我想这一点谁都能注意到吧。