きょう春分の日は彼岸の中日になる。寒から暖へ転じる候だが、きまって思い出すのは正岡子規の〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉である。母の言葉をそのまま一句に仕立てたそうだ。さすがの自在さである。
今天是春分,是彼岸(译注:日本将春分和秋分的前后七天称为"彼岸".中国没有对应的说法。)的中间一天。在这个寒暑转换之际,总要想起正冈子规的一首俳句:"已到彼岸中,乍暖还寒仍寒冷,年年皆如此"据说这首俳句就是直接将他母亲的话记录下来而已。这种信手拈来的自由自在实在令人叹服。
敬意を表して、彼岸の入りに東京?田端にある墓所を訪ねてみた。母八重の墓と並んでうららかな日を浴びていた。隣には、生前に自ら書いた墓碑銘を刻した碑がある。「……明治三十□年□月□日没ス享年三十□月給四十圓(えん)」。なるほど、□の部分は生きているうちは分からない。給金を記した墓というのも随分と珍しい。
怀着深深的敬意,进入彼岸后我造访了他位于东京o田端的墓地。他的墓和他母亲八重的墓靠在一起,沐浴在灿烂阳光下。墓旁立着一块刻有自撰墓志铭的石碑。 "……明治三十□年□月□日没,享年三十□,月俸四十圆".在生前,□的部分自然是不知道的。而刻有月俸多少的墓碑还真是稀罕。
こうした、歴史上の人物の墓めぐりが、いま静かな人気なのだという。愛好者を指す「墓マイラー」なる言葉も生まれている。そのための地図を作った所もある。子規の親友だった漱石が眠る雑司ケ谷(ぞうしがや)霊園もその一つだ。
据说像这样探访历史名人之墓地的活动,眼下正在悄然兴起。还产生了一个专指此种爱好者的名词—— "访墓客".有些地方还特地为此制作了地图。子规的好友漱石(译注:指夏目漱石。)长眠的杂司谷陵园也是其中一。
地図を頼りに訪ねると、文豪の墓は堂々としていた。多くの有名人にまじって大塚楠緒子(くすおこ)の墓も見つけた。詩文にたけた才女で、早世を悼んだ漱石は〈有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中〉の名高い句を詠んでいる。
循着地图找去一看,见大文豪的坟墓果然堂而皇之历历在目。在众多的名人墓之中,我发现了大冢楠绪子的坟墓。为了悼念这位诗文冠世而又英年早逝的才女,漱石吟过一首著名的俳句: "所有的菊花,尽悉抛入棺木中,难慰哀悼情".
一説、漱石が思いを寄せたともされる楠緒子は今年で没後100年になるそうだ。漱石の「夢十夜」がふと胸に浮かんだ。「百年待っていて下さい」と言い残して死んだ、作中の有名な「女」が重なり合う。墓マイラーもなかなか面白い。
有人认为漱石曾经十分心仪楠绪子,而今年正是她去世100周年。漱石的《梦十夜》在我心头油然升起。书中那位留下一句 "请等我一百年"后便撒手人寰的有名的"女子"和长眠于墓中的才女,自然而然地在我心中合二为一。做个"访墓客"不也趣味横生吗?
きょうは代々の墓にお参りの方もおられよう。有名人でもご先祖様でも、墓はいつもどこか懐かしい。聞こうと心する耳には届く。そんな言葉で昔を語ってくれているからかもしれない。
今天,肯定也有人去祭扫祖坟了吧。名人也好,祖宗也好,墓地总让人倍感怀念。只要你有倾听之心,就会有话语传入耳中。因为他们或许会用那样的语言向我们讲述往昔的岁月的。