口语改书面语总结(3)

来源:微学网发布时间:2010-10-27

    下面的文章有多处作为论说文不合适不规范的写法,为提高答题质量已将加以修改。由育路教育网搜集提示:参考上面总结的答题要点,做到描述不夸张,尽可能严谨,不模棱两可,另外忠实原句意思。复习一下上几回关于什么不适合书写体的要点。

    世界中のみんなはよく、日本人を、働きすぎだと、非難するその背景には戦後、日本が社会資本や社会福祉の充実を後回しにして生産第一主義効率主義を掲げて高度経済成長を成し遂げたんだとする見方があります。つまり「豊かさ」のために、人間らしい生活を無駄にしているんじゃないかということが問われているんですね。人間らしさを取り戻すためにはいっぱいある。しなくちゃならないことがいっぱいある。中でも余暇を確保することは一番大切なことだ。僕はこの論文ではまず、日本人の労働と余暇の現状について書いて、その後、ホントに日本人は働きすぎなのかどうかを検証して、「日本人は働きすぎ」という議論の問題点を明らかにして、最後に日本での労働と余暇が今後どうあるべきかを提言したいです。

    译文:全世界的人都经常批评说,日本人太工作狂了。这么说的背后是这样一种观点:日本二战后将发展生产提高生产率放在首位,而忽视了社会资本社会福利方面的建设,以此换来了经济快速增长。也就是说为了追求物质上的“富足”,牺牲了人本应有的精神生活。这个问题现在正在被广泛关注。为了重新回归人本应有的生活有很多事情需要去做。其中确保大家的闲暇时间是最重要的一点。我的论文里首先论及日本人的工作和闲暇时间的现状,之后研究日本人是否确实工作狂的问题,将“日本人是工作狂”这一论点进行澄清,最后对今后日本人应该如何处理工作和余暇时间的关系提出我的建议。

    标准答案(为方便与原文对照,更改处用蓝色标出):

    世界中の人々はしばしば、日本人を、働きすぎだと、非難するその背景には戦後、日本が社会資本や社会福祉の充実を後回しにして生産第一主義効率主義を掲げて高度経済成長を成し遂げたのだとする見方がある。つまり「豊かさ」のために、人間らしい生活を駄目にしているのではないかということが問われているのだ。人間らしさを取り戻すために、やらなければならないことが数多くある。中でも余暇を確保することは一番大切なことだ。筆者はこの論文ではまず、日本人の労働と余暇の現状について述べ、その後、確かに日本人は働きすぎなのかどうかを検証して、「日本人は働きすぎ」という議論の問題点を明らかにし、最後に日本での労働と余暇が今後どうあるべきかを提言したい。

    解说:先把解题要领和规范贴过来,对照着看方便理解。

    第一不允许出现“です/ます体”,更不允许“です/ます体”和简体混用。

    第二不允许出现口语表达情感的感叹词。

    第三称作力图规范写作,包括不使用简缩语,简略语,口语化的音变,以及不规范的标点符号等。

    按此分类,

    1.犯第一类“です/ます体”简单错误的有:あります,問われているんですね,提言したいです。答题中“問われているんです”——〉問われている,問われているである等都属于修改不到位,没有忠实原文。

    2.犯第二类错误的有:問われているんですね,いっぱいある,僕,ホントに。后三个可能很多人不认为是表达情感的口语词汇,但在论文类文章里它们的出现是很不合时宜的,因为太感性,太笼统模糊。关于人称代词,有变为「私」「俺」「小生」的,要知道这些代词的变化都是为表达作者与阅读者的人际关系而存在的,而这种感情的表达在科技类文章中是被严格排斥的,他们发挥作用的是信函类文章,会在以后练习。

    3.犯第三类错误的:みんな,よく属于口语化用词问题,还是因为太感性,适合演讲词通俗但欠严谨。成し遂げたんだ,無駄にしているんじゃないか,問われているんですね,しなくちゃならないことがいっぱいある。前三个都是口语音变和简缩语问题,后一个除了简缩语,表达“多”的“いっぱい”也很口语,作为文章很不合适,读起来滑稽。答题中“しなくちゃ”——〉しなければ虽然没错,但表达“做”“干”用动词“する”显得很模糊,应明确为“やる”。“いっぱい”——> たくさん怎样呢?好一些,但还不彻底。以前节目里谈过词汇的“高级/低级”问题,たくさん这个词幼儿呀呀学语时就会了,所以根本称不上“高级”,属于比较幼稚的语言,“高级”文章中当然应当回避。

    这篇习题里难度最大的应该属“書いて”和“明らかにして”了,因为他们不易被察觉有什么问题,不改也没有什么大问题,它考察的是锦上添花的语感问题。“書いて”不能说是口语专用,如果写成“書き”效果会好一些,但终归此词档次太低(一般幼儿园时就会了)当然应该进行词汇升级。“明らかにして”问题也出在中顿“て”上,显得比较口语。记得某一期中特别列举过这类文章韵律方面的例子。

    最后说说…ようとする的问题。答题里有同学将高度経済成長を成し遂げたのだとする見方がある改成了成し遂げようとする見方がある。对不对呢?错在哪里?

    首先看时态。成し遂げた表达的是已经完成的动作,而遂げようとする则是将来发生的事情,还没有开始呢。从句子意思看显然不合逻辑。

    其次看语法。成し遂げたのだとする見方的句法结构是…だとする見方——作为[前述]那样的一种看法,用法相当于…だという見方。 遂げようとする見方——这里的とする跟了前面的 遂げよう从而造成[見方]的动作者不清楚。

    最后一句也有筒子将今後どうあるべきかを提言したい改成了今後どうあるべきかを提言しようとした。与上面的例子不同的是,时态没有问题都是表达将来发生的事情,原句单纯表达作者的意愿,而修改后的しようとした则成了站在第三者立场上的旁观者对情况的描述。新闻报道中经常这么用,是因为记者想表达中立的立场,而作为原作者的表述用したい非常恰当,正统。至于有筒子进一步发挥成提言したいのである绝不为错,区别在语气和逻辑上。…のである等于平常说话时的…のです、…のだ,是强调句式。强调当然要在恰当的时候,一般在说出结论或陈述结果时用顺理成章,而例子里只是一篇论文的[帽]刚开头就强调未免给人以[虚张声势]的滑稽感。

 

 

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