商人として羽振りのいい兄のもとに、食いつめた弟が商売の元手を借りにいく。ケチで知られた兄は三文を貸した。落語の「鼠穴(ねずみあな)」である
弟弟无以谋生,到势强力大的商人哥哥处借些本钱做生意。小气有名的哥哥只借给他三文钱。这是落语(滑稽故事)《鼠穴》的内容。
帰り道、銭を憤然と投げ捨てかけて、弟は思いとどまる。「地べたを掘っても、三文の銭は出ない」と。三文ならぬ3万円、いや1万円でも地に埋まっているものなら掘ってみたい。切羽詰まった経験は、誰しも人生にあるだろう
回家的路上,弟弟愤然要把三文钱扔掉,却又打消了念头,他想:“即使挖地(挖到天亮),也挖不到三文钱啊”。地里如果埋着不是三文钱的3万元,不,1万元也好,咱也想挖挖看。谁都有走投无路的人生经历吧
世の中は広いもので金策の苦労は他人任せ、地べたを掘らずとも銭はどこからか自然に湧(わ)いて出るものと心得ている人たちもいる。太平楽な人の多く集まる町が東京にあり、その名を「永田町」という
这世界很大,也有这样一些人,他们懂得将生财的劳苦委以他人,不用挖地,就可以让银子自然而然地从某处滚滚而来的方法。东京有一个地方聚集着很多为所欲为的人,它的名字叫“永田町”。
民主党出身の角田義一参院副議長が政治資金の扱いで不明朗な点を指摘され、辞任した。「知らない」という釈明が万に一つ嘘(うそ)ならば論外、事実だとしても“湧いて出る”派は「良識の府」の要職にそぐわない。辞任は当然だろう
民主党出身的参议院副議長角田義一被指责在政治资金收支上有不明朗之处而引咎辞职。众多“不知道”的解释中,如果有一个是假的,那就另当别论,但就算“不知道”的解释都是事实,“财源滚滚来”派,也与“良识之府”的要职很不相称。辞职也就理所当然了。
三文から始まった立志伝でもあるこの落語では、火事が筋立ての重要な伏線になっている。耐火性にすぐれた商家の土蔵も、鼠のかじった穴ひとつで類焼をまぬかれない。題名はそこから採られている
这个滑稽故事可谓从三文钱立志起家的一部传记,故事中,火灾是一条重要的伏线。商家的泥灰墙仓库防火性能虽强,难免也会因为老鼠咬啃的一个洞穴而延烧。题名《鼠穴》即取自于此。
火の用心のお粗末ぶりに与党、野党の別はない。疑惑の金が出入りする「鼠穴」を本気でふさぐのが早いか。政治の信頼という土蔵の焼け落ちるのが早いか。永田町方面の空が赤い。
防火措施的简慢,执政党和在野党都一样啊。是要早点认真堵住不明资金进出的“鼠穴”呢?还是要早点让“政治信赖”这个泥灰墙仓库烧塌呢?永田町上空,一片火红。
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角田参院副議長:陣営が寄付2517万円を「裏金処理」
参院の角田義一副議長(群馬選挙区)が3選を果たした01年夏の参院選で、民主党群馬県連などでつくる総合選挙対策本部に「陣中見舞い」などとして寄付された個人?団体献金計約2517万円が、同県連や角田氏らの政治資金収支報告書に記載されていないことが16日、分かった。毎日新聞は寄付を記した裏帳簿を入手。中には寄付を受けることが禁止されている外国人団体も記載されていた。当時の会計担当者は裏帳簿作成と報告書などへの未記載を認め「指示を受けて作成した。すべて裏金として処理された」と話しており、政治資金規正法などに抵触する可能性がある。
裏帳簿などによると、角田氏の総合選対本部は参院選前後の01年5月~8月、企業?団体約90団体、個人約130人から献金を受けた。しかし、当時、角田氏が代表を務めていた民主党県連と党群馬県参院選挙区第1総支部、角田氏の資金管理団体や後援会などいずれの報告書にも献金の記載はなかった。政治資金規正法は政党や政治家の資金管理団体などが献金を受けた場合、政治資金収支報告書への記載を義務付けている。また、公職選挙法は選挙に伴う寄付を選挙邉淤M用収支報告書に記載するよう義務付けている。当時の会計担当者はこれらの報告書作成を担当していたという。
帳簿に記載されている主な団体は、連合群馬(前橋市、1000万円)、群馬県教職員組合(同、600万円)などの労組のほか、社民党県連(同、30万円)も含まれている。また、政治資金規正法で寄付を受けることが禁止されている外国人団体で朝鮮総連系の「在日本朝鮮群馬県商工会」(前橋市、50万円)の記載もあった。このうち、全国社会保険労務士政治連盟(東京都)や群馬県興農政治連盟(前橋市)、同県税理士政治連盟(同)が10万~30万円を寄付したことを報告書に記載している。同県庁職員労働組合(同)は3万円の献金を認めている。
一方、連合群馬と県教職員組合は「担当者が不在でコメントできない」とし、社民党県連は「当時の資料がなく分からない」と話している。在日本朝鮮群馬県商工会は「事実関係は分からない」としている。
民主党群馬県連では、昨年1月から角田氏、富岡由紀夫参院議員(群馬選挙区、04年初当選)の政治献金を巡って報告書の記載漏れが相次ぎ、県連幹部が引責辞任する事態に発展していた。
角田氏は89年に社会党(当時)から出馬して初当選し、97年に民主党入り。04年7月から参院副議長を務め、今期限りでの引退を表明している。
角田氏の事務所は16日、「党群馬県参議院選挙区第1総支部、角田義一後援会もしくは(資金管理団体の)角田義一政治経済研究会について調査したところ、ご指摘の献金の入金の事実がありません。他の団体については、角田義一は分かりません」と文書でコメントを出した。