海上保安庁の広報誌が今月、「喜びも悲しみも幾年月」と題して、長崎県の男女群島にある女島(めしま)灯台について小特集を組んでいる
海上保安庁的宣传杂志,这个月,以“亦喜亦悲几度秋”为题,关于長崎県男女群島上的女島灯塔,组编了一个小专集。
全国の灯台でただ一つ、職員が常駐する灯台だったが、電源を太陽光発電装置に切り替えるなど設備が自動化され、昨年末で無人化された。この灯台守と呼ばれた常駐方式は明治初期、神奈川県の観音崎灯台から始まったという。その138年に及ぶ歴史に幕を閉じた
这是全国唯一一个常年有职员驻扎的灯塔,塔上实现设备自动化,诸如把电源改换为太阳能发电装置等,于去年年底变成无人看守了。这种被称为“灯塔看守人”的常駐方式,据说,始于明治初期神奈川県的観音崎灯塔。其长达138年的历史(就这样)落下了帷幕。
女島灯台は、50年前に製作された木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つにもなった。「俺(おい)ら岬の 灯台守は 妻と二人で」と歌い出す同名の主題歌は、木下監督の弟で作曲家の木下忠司さんが作った
女島灯塔,也是导演木下恵介50年前拍摄的电影《亦喜亦悲几度秋》的舞台背景之一。首句是“俺们海角的/灯塔看守人/是俺和妻两个人”的同名主题曲为木下导演的弟弟、作曲家木下忠司所作。
この歌詞のように戦後の一時期までは、家族も生活を共にしながら航路の安全を守っていた。今も駐在所の警察官のように家族が夫を支えている仕事があるが、家業と呼ぶものも含め、戦後はそのような働き方が衰退してきた歴史でもあるだろう
直到战后的某一时期,这里都是象歌词所唱的那样,家人也一起生活,共同守护着航海安全。
现在也还有由家眷支持丈夫的工作,象警察派出所的警察官那样;称为“家庭职业”的工作也包含在内。战后历史同时也是此类工作方式逐渐消失的历史吧。
文化庁が先日、国民から募集した「親子で歌いつごう日本の歌百選」を発表した。家庭の教育力の低下が言われる折に時宜を得た試みだったが、幼児や児童を想定した歌が多かったような気もする
前些时候,文化厅发表了向全国征集的《母子传唱日本歌曲百选》。在普遍认为家庭教育能力下降的当今,这是一次符合时宜的尝试,但也让人感觉构思框定在幼儿和儿童的歌曲居多。
「喜びも悲しみも幾歳月」は入っていない。このような家族に勇気を与えてくれる歌百選もあれば素晴らしいと思う。
《亦喜亦悲几度秋》没有入选。但我想,有这种给家庭以勇气的歌曲百选,已经很不错了。