作家の山田風太郎は戦後の混乱期を医学生として過ごした。誰もが貧しく、いずこも行列、「雲霞(うんか)のごとき群肖蛉铡┨鳏幛啤⑷碎gを殆(ほとん)どゴミのように考えていた」と当時の日記に書いている
作家山田風太郎作为一名医学生度过了战后混乱时期。人人贫穷,处处排队,他当时在日记里写道:“每天看着云集的人群,感觉人就象垃圾一般”
その認識を改めたのは、産科の研修で出産に立ち会った時であったという。産婦のあえぐ息遣いのなかで新生児の頭が見え、手が見え、産声が聞こえ、全身を打たれる思いがした。「実に人生観を一変するばかりの光景なり」と(小学館「戦中派闇市日記」)
改变这种认识,据说是在产科进修时参加的一次接生。在产妇的喘息中,看见了新生儿的脑袋瓜,看见了那小手,听见了呱呱声,山田浑身有一种被震撼的感觉。“那真是能够让人人生观完全改变的一种情景啊”(引自小学馆出版的《戦中派夜市日記》)
合計特殊出生率がいくつだ、年間の出生数は何人だ…と、少子化問題を語る際に数字は避けて通れないが、ひとつひとつの数字の陰には人生観をも一変させる崇高な営みがあることを忘れてはなるまい
合計特殊婴儿出生率是多少,一年出生人数多少人……在谈论婴儿出生率下降问题时,这些数字无法避免地是要谈到的,但是,切勿忘记这一个个数字的背后也有让你的人生观完全改变的崇高的东西。
柳沢伯夫厚生労働相が講演で「(女性は子供を)産む機械」と発言し、安倍首相から厳重注意を受けた。おそらくは数字で頭がいっぱいになり、つい、口が滑ったのだろう
厚生労働大臣柳沢伯夫在演讲中说道:“女人是生孩子的机器”,受到安倍首相的严重警告。想必他是因为脑中装满数字,最终才说走了嘴的吧。
殴り、熱湯を浴びせ、飢えさせ、これが親のすることかと、心の凍りつく虐待事件が後を絶たない。血の通わぬ機械のような親が増えている折、「つい、うっかり」としても後味のわるい失言ではある
殴打孩子,以开水伤之,使其挨饿,这些可是父母做得出来的事情?此类残酷的虐待事件层出不穷。冰冷无情的机器似的,眼下,这样的父母与日俱增。即使柳沢是“不小心才说走了嘴”, 但这种失言回味起来仍让人感觉很不好。
風太郎は産科研修の感銘を日記に綴(つづ)った。「実に人間は、母の血潮の中に最初の叫びをあげるのである」と。生まれる者も、産む者も機械であるはずがない。
关于产科进修的感想,風太郎还在日记里写道:“其实,人啊,是在母亲的血海中叫出第一声的”。婴儿也好,母亲也罢,都不是机器。