螳螂、蝉を窺い、黄雀、後に在り:螳螂捕蝉,黄雀在后

来源:泸江日语发布时间:2012-09-19

  螳螂、蝉を窺い、黄雀、後に在り
  
  春秋の昔である。呉の国(紀元前585~前477)の王夫差は軍隊をやって楚の国を攻めるようとした。と、臣下のものは口々に、「それはまことに危険でございます。あの越がその機に仱袱啤⑨幛恧椁铯蛞uうことになります」と諌めた。
  
  それを聞いた夫差は、忠言を容れるどころか大いに怒って、「敢えて諌めつづける者は死を申し付ける」と言った。
  
  それで、臣下たちは黙り込み、敢えて何も言わなくなった。
  
  さて翌日のこと、夫差の息子がびしょびしょにぬれたズボンをはいて父親のとことに来た。ふしぎに思った夫差は、「そなた、なぜ、そんな姿でいる?」とたずねた。すると、息子は少しもあわてず、こう答えた。
  
  「さきほど、花壇で遊んでおりましたところ、ちょうど蝉が一匹飛んでまいりまして、樹の枝で得意そうに鳴きました。かまきりが後ろから、自分を狙って近づいているのを知りません。かまきりがいまにも蝉を食おうとしているその時、かまきりの後ろには黄雀がいて、いまにも飛びかかろうとしていましたが、かまきりがそれを知りませんでした。それを見てあわてたわたくしは弾弓を手にその黄雀を打とうといたしましたところ、つい足元に水たまりのあることをさとりませんでした。そのため、水たまりに落ち、このていたらくでございます」
  
  夫差は、息子の話を聞き終わると、笑いながら、「そなたの言わんとするところは、よくわかった」といって、すぐ、楚の国へ攻め入ることを停止するよう命令を下した。
  
  後世、人はこの故事から「螳螂、蝉を窺い、黄雀、後に在り」を成語として用い、目先の利益にばかり気をとられて後ろから迫っている危険に気がつかないことのたとえに使うようになった。
  
  相关中文释义:
  
  这个成语出自刘向的《说苑·正谏》。
  
  书中记载了这样一个故事:春秋时期,吴国国王寿梦准备攻打荆地(楚国),遭到大臣的反对。吴王很恼火,在召见群臣的会上警告:“有谁胆敢阻止我出兵,将他处死!”
  
  尽管如此,还是有人想阻止吴王出兵。王宫中一个青年侍卫官想出一个好办法:每天早晨,他拿着弹弓、弹丸在王宫后花园转来转去,露水湿透他的衣鞋,接连三天如此。吴王很奇怪,问道:“这是为何?”侍卫道:“园中的大树上有一只蝉,它一面唱歌,一面吸饮露水,却不知已有一只螳螂在向它逼近;螳螂想捕蝉,但不知旁边又来了黄雀;而当黄雀正准备啄螳螂时,它又怎知我的弹丸已对准它呢?它们三个都只顾眼前利益而看不到后边的灾祸。”吴王一听很受启发,随后取消了这次军事行动。
  
  “螳螂捕蝉,黄雀在后”提醒人们不要只顾眼前利益而不考虑后患。

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