このごろは郵便物が多くなりましたが、半分以上は、いわゆるダイレクトメールと呼ばれるもので、「便り」というものが少なくなったのはちょっとさびしい気がします。年輩の方に伺うと、ワープロのものは気味ないということですが、自分の字を気にする人は、「ワープロのおかげで心おきなく手紙が書けますよ。」とおっしゃいます。
郵便省の片棒を担ぐわけではありませんが、年賀状や暑中見舞いも、確かに虚礼もあるけれど、全くなくなったらさびしく思うのではないでしょうか。ある程度決まり文句には目をつぶって、ああこの人も無事なのだな、とか、そうか結婚したのか、とか、やっぱり故郷に帰ったのだな、とか思いながら読んでいくと、最後に一こと手紙で書き添えてある文句で、その人の声を耳に聞くような思いがするのもいいものです。
しかし、手紙の模範本をうのみにすると、いささかおかしなことが起こります。ある会社員は、女生から手紙をもらって、読んでいくと、貴女様、という文句が目にとびこんできて、びっくりしたと言いました。気の毒にも彼はその後、「きじょ」というおかしなニックネームをつけられてしまいました。またある先生は、コンパへの招待状をもらったところ、「先生がおいでくださると枯木も山のにぎわいです。」とあったり、夏休みに軽井沢に行った学生からの葉書には「先生のご健康を草葉のかげから祈っています。」と書かれていたとか。
中译文
最近,邮件多了起来,但一半以上是那种“直接邮寄广告”,“书信”的减少使人略感冷清。问及年长者,他们说用文字处理机打出来的东西索然无味,但对自己的字无信心的人却说:“靠文字处理机,我可以无忧无虑的写信了。”
贺年片,暑中问候信等虽然不能说是替邮政部帮忙起哄,但有些确实虚礼。尽管如此,却又不能完全没有,因为那样会令人感到少了什么。对于千篇一律的套话眼睛半睁半闭,“啊,此人也安然无事”,“原来他结婚了”,“到底回了老家”,就这样边想边读,到最后看到加写的一,二句话时,则似乎听到了其人的声音。
但是,如果按照书信范文生吞活剥,就会显得有些滑稽。一位公司职工说,他收到一位女性的信,读着读着,“贵女様”的字样跃入眼帘,当时大吃一惊。可怜的是,自那以后他被人起了一个滑稽的外号“贵女”。一位老师也遇到了类似的事情。一次收到一份学生邀他参加联谊会的请贴,上面写着“先生如蒙光临,将起到‘枯木亦增山色’的作用。”另一次他收到了暑假去轻井泽旅行的学生的明信片,上面写着:“我在九泉之下祝愿老师健康!”