伊勢物語
むかし、おとこ、うゐかうぶりして、平城(なら)の京、春日の里に知るよしして、狩に往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。このおとこ、かいまみてけり。おもほえずふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。おとこの著(き)たりける狩衣(かりぎぬ)の裾を切りて、歌を書きてやる。そのおとこ、しのぶずりの狩衣をなむ著たりける。
かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず
となむをいつきていひやりける。
宇津保物語
むかし、式部大輔(しきぶのたいふ)、左大弁かけて清原の王(おおぎみ)ありけり。御子腹(みこばら)に、ヲのこ子一人持(も)たり。その子、心のさときことかぎりなし。父母(ちちはは)「いとあやしき子なり。生(お)ひいでんやうを見む」とて、文(ふみ)も読ませず、いひ教ふる事もなくておほしたつるに、年(とし)にもあはず、丈(たけ)たかく心かしこし。七歳(ななとせ)になる年、父が高麗人(こまうど)にあふに、此七歳(ななとせ)なる子、父をもどきて、高麗人(こまうど)と文(ふみ)をつくりかはしければ、公(おおやけ)きこしめして「あやしうめづらしきことなり。いかで心みん」とおぼすほどに、十二歳にてかうぶりしつ。
帝(みかど)「ありがたき才(ざえ)なり。年(とし)のわかきほどに心みむ」とおぼして、唐土(もろこし)に三たびわたれる博士(はかせ)中臣の門人(かどひと)といふを召して、難(かた)き題をいださせて、心みさせ給フ。