2011年日语等级考试N1阅读练习(2)

来源:网络发布时间:2011-06-29

  『悪魔』は日本にも存在するのだろうか。日本人にとっての悪魔の概念を、国际日本文化センターの山折哲雄教授(宗教学)に本志、羽贺神朋子が闻いた。
  善悪の感覚について、日本には、ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない。日本にも鬼というものはあるが、これには『悪』の侧面と同时に『神』の侧面もあり、神はときに鬼の面をかぶって他界からやって来たりする。
  つまり善とは悪に対立せず、ダブルイメージとしてお互いに融合し互换可能な関系にある。
  これが日本人の善悪に関する考え方の一つのメルクマールだ。
  仏教の思想について、仏教では、地狱に堕ちた者でも仏の慈悲により直ち往生できるようにさまざまな救済措置が用意されている。地狱に堕ちた悪魔的な人间が永久に闭じ込められているキリスト教的な考え方とは、この点が大きく异なる。
  こうした仏教の考えを背景としているため、善悪にあまりこだわるべきでないという考え方が日本人にはある。宗教の极地は善悪を越えたかなたに存在し、善悪はむしろ世俗的な问题だ、というわけだ。善悪にこだわるのは、生き方の本质ではないと考えられてきたのである。
  そのため日本人には絶対的な悪の観念がなく、根源的に悪を掘り下げ突き诘めていくという思考形态も培われていない。それで子どもに悪魔という名前をつけるような、悪の『游び化』といった现象も起こる。
  ァˇム事件について、ァˇム真理教のような事件はある意味で、キリスト教やユダヤ教で问题にされてきた『悪』が眼前に现れてきたような出来事だった。事件を机に、日本人は初めて『根源悪』ともいうべきものに直面し、人间の悪の姿に気づきはじめたといえるのではないか。
  だから今回の事件でも、非常にヒステリックに反応するばかりで、ァˇム抹杀论のような极端で幼稚な议论しかできない。
  逆の言い方をすれば日本人はこれまで、そのくらい幸福だったともいえる。そういう人生観を今後ももっていけるなら、それはそれで必ずしも悪いことでない。さらにこうした楽観的な考え方が世界のものになれば、世界全体は平和になるのかもしれない。そうはいないのが现実なのだが。
  难しい言叶
  悪魔:あくま/恶魔,魔鬼
  ユダイ:犹太
  惩らしめる:こらしめる/制裁を加えて惩りるようにさせる/惩罚,教训ダブルイメージ:二重の印象/双重印象 慈悲:じひ/慈悲往生:おうじょう この世を去って他の世界に生まれ変わること。特に死後、极楽に生まれる こと。(佛)极乐掘り下げる:ほりさげる /突っ込んで考える。深く究明する。/深挖,深入思考培う:つちかう /能力や性质を养い育てる。育成する。/培养,培育ヒステリック:ヒステリーを起こしているさま。また、兴奋して、极度に感情の高まっているさま。/歇斯底里抹杀:まっさつ /人や事実などの存在を否定し、消し去ること。/抹杀,勾消
  【読解练习】
  前の文章を読んで、後の问いに答えなさい。下线のある部分にどれを入れるか、1、2、3、4から最も适当なものを一つ选びなさい。
  1、日本人の感覚からいえば、____________。
  1)鬼は『悪』である
  2)鬼は『善』である
  3)悪魔はかならずしも悪いものではない
  4)『鬼』は『神』と同じものである
  2、日本人の善悪に関する考え方と合っているものはどれなのか。
  1)善と悪をはっきり区别するのは无意味である
  2)善と悪は対立している
  3)善と悪は一つになることはできない
  4)善と悪は同じものである
  3、山折哲雄教授からみれば、日本人の善悪に関する考え方はどれなのか。
  1)世界平和につながるかもしれない
  2)幼稚なものである
  3)积极的な面がある
  4)世界のものになれる
  4、日本人はァˇム事件を___________。
  1)冷静にとらえている
  2)きっかけに反省しはじめている
  3)いろいろ议论してきた
  4)『鬼』の代表と见ている
  5、『ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない』にある『相当』の意味と合っているものはどれなのか。
  1)お互いに向きあうこと
  2)相対する関系にあること
  3)両者の関系がつりあうこと
  4)両者が『ほぼ』同等の资格や働きを持つこと
  6、『そうはいかないのが现実なのだが』にある『そはいかない』と一番意味の近いものはど れなのか。
  1)日本人はこれから幸福になれない。
  2)これまでの善悪の考え方がこれからもっていけない
  3)世界のものになれない
  4)世界全体は平和になれない
  解答与注释
  1(3) 2(1) 3(3) 4(2) 5(4) 6(2)
  本期读解1的翻译
  本杂志的宇贺神朋子采访了国际日本文化研究中心的山折哲雄教授:在日本是否真的存在恶魔。
  (山折哲雄教授作了如下回答)
  关于恶魔的感觉--在日本是不存在相当于犹太教或基督教中的恶魔的。
  在日本虽然有鬼一说,但是在鬼的一说中存在邪恶的一面的同时也存在神的一面,在对人类实行惩罚的同时也会保护人类。比如,在传统艺能或宗教的仪式中,神有的时候就会戴着鬼的面具从他界而来。
  简言之,善与恶并不是对立的,而是作为双重的身份相互融合,并存于可能转换的关系之中。这是日本人关于善恶的一种思维方式的印记。
  关于佛教的思想--在佛教中,即使是深陷地狱的人,由于佛的大慈大悲,为使其能够超脱,会有各种各样的拯救方法。在这一点上,其思想与深陷地狱的罪恶之人永世也不得超脱的基督教思想是截然不同的。
  由于以这样的佛教思想为背景,日本人认为并不应该\

  正是由于这个原因,在日本人的思维中,并不存在绝对的恶的观念,也并没有追究恶的根源这种思考形态。所以就出现了像给孩子起恶魔名字那样的恶魔游戏这样的现像。
  关于奥姆事件--像奥姆真理教那样的事件,在某种意义上,出现了犹太教和基督教中的恶魔。以这件事为契机,可以说日本人开始直面应该称之为“根源恶”的事实,开始意识到人类邪恶的一面。
  所以对于这次事件,全是一些歇斯底里的反应或像奥姆抹杀论那样的极端幼稚的论调。
  如果换一种说法,也可以说日本人至今都是非常幸福的。如果他们今后也怀有那样的人生观生活下去的话,也未必是件坏事。甚而如果这种乐观的思维方式如果可以成为世界的一种思维方式的话,也许全世界都会和平。但这是不可能的却也是一种现实。

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