長崎で被爆した歌人竹山広さんの歌集をひらく。「死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく」。地獄絵の中でたった一つ、光を放つ記憶なのだろう
翻开長崎原子弹爆炸受害者、和歌作者竹山広的歌集。“在死亡面前/亲手掬一口水/滋润你我心田/记忆放光芒”。这是地狱惨状中唯一闪光的记忆吧。
被爆者は被爆を思い出にできないと、序文に歌人の佐佐木幸綱さんが書いている。「原爆は被爆の時から被爆者の体内に棲(す)みつき、彼や彼女が生きる限り原爆もまた生きつづけるのである」と(ながらみ書房「竹山広全歌集」)
歌集的序言里,和歌作者佐佐木幸綱写道,原子弹爆炸受害者无法让被炸成为往事,因为,“自被炸之刻起,原子弹已栖附在受害者的体内,只要他或她还活着,原子弹就还会继续存活。”
海外に居を移せば、歳月が流れたならば、棲みついた原爆が身を離れてくれるものでもない。被爆者はどこにいても、いつまでも被爆者であると、司法が認定したことになる
无论移居海外,无论岁月流逝,栖附着的原子弹都不会离开受害者的身体。司法最后认定,受害者无论身居何处,永远都是受害者。
広島で被爆したブラジル在住の日本人被爆者に健康管理手当の全額を支給するよう、最高裁が行政に命じた。行政側の唱えた時効論は「信義則に反する」と退けられている。常識にかなう判断だろう
最高法院责令国家要为在广岛被炸、现居住巴西的日本受害者全额支付健康管理津贴。国家方面主张的时效论,作为“违反诚信原则”,被驳回。这是合乎常识的判断吧。
健康管理手当という“命の水”を旧厚生省は、「出国者には受給資格がない」と被爆者の手から取り上げ、その判断が司法によって非とされるや、時効を盾に飲ませるのを渋ってきた。判決は官僚の流儀に向けて発した叱声(しっせい)でもある
原厚生省认为“出国人员没有领取资格”,从受害者的手中剥夺了健康管理津贴这一“生命之水”,这种判断被司法否定后,他们一直不肯取消"时效"这个借口。本次判决同时也是针对官僚作风发出的一种叱责。
竹山さんの歌にある。「孫よわが幼きものよこの国の喉元(のどもと)は熱きものを忘れき」。忘れた熱さとは何だろう。被爆者の痛みを我が身の痛みと感じる心も、その一つに違いない。
竹山的和歌中有这样一首:“孙儿/我年幼的孙儿啊/咱们国家已是好了伤疤忘了疼”。所谓“忘了的疼”,是指什么呢?疼受害者之疼,一定也是其中之一吧。