4. リチャード・ニクソン第ニ期大統領就任演説(1973年1月20日)
副大統領、下院議長、合泄罡卟门兴L官、クック上院議員、アイゼンハワー氏、そしてともに偉大ですばらしいわが祖国を作り上げているアメリカ国民のみなさん。
われわれはこの場所に4年前に集ったとき、アメリカは先行きが暗く、終りがないように思われる海外の戦争の見通しや本国での破壊的な衝突によって意気消沈していた。
この場所に本日集うとき、われわれは世界における新たな平和の時代の入り口にたっています。
われわれの提示されている質問は、「この平和をどのようにしたらよいだろうか?」ということです。われわれが足を踏み入れようとしている時代が、他の戦争後の期間にしばしばそうなったようにはしないようにしよう。つまり、国内には不況をもたらし、海外では新たな危機をまねく、ひきこもりと孤立の状態にならないようにしようではないか。
われわれは次のようにしようではないか。つまり重い責任をしっかり引き受け、そこで一つの国として三世紀目に入ったアメリカの精神と約束を新たなものとしましょう。
ここ数年は、われわれの新たな平和の方針が広範囲に成果をあげるのを見ることができた。われわれの伝統的な交友関係に新たな活力を与えつづけ、北京やモスクワに使節を送ることで、世界中の国々と新たなそしてより長続きする関係の基盤を構築することができるだろう。アメリカの大胆な先導で、1972年は第二次世界大戦以来、世界での恒久的な平和へ向けての最も大きな進歩をなしとげた年として長く記憶されることだろう。
われわれが世界中でもとめる平和は、単に戦争と戦争のあいだといったうすっぺらな平和ではなく、来るべき世代においても持ちこたえるような平和なのです。
アメリカにおいてわれわれが平和を保つようにしなければ、平和になることはありえないでしょう。
アメリカにおいてわれわれが自由を保つようにしなければ、自由になることはありえないでしょう。
われわれは、ここ4年においてわれわれが採用してきた新たな方針の結果としての、新たなアメリカの役割の本質をはっきり理解するようにしましょう。
われわれは、条約による約束を尊重しよう。
われわれは積極的に、いかなる国も武力をもってその意志や規則を他国へおしつける権利をもたないという原則を支持しよう。
われわれは、交渉の時代においても、核兵器を制限することや、その大きな力が直面する危険を減らすようにしよう。
われわれは、世界において平和や自由を守るために貢献しよう。
アメリカが他の全ての国の紛争を自分のものとみなすような時代や、他の全ての国の将来がわれわれの責任であるとするような時代や、もしくは他の国の国民にどうやってそれぞれの問題を解決するかを教えようとするような時代は過ぎ去った。
各々の国がそれぞれの将来を決める権利を尊重しさえすれば、各々の国がそれぞれの将来を手中におさめる責任をもつことを認識できるだろう。
アメリカの役割が世界の平和を保つのには不可欠であり、各々の国の役割がそれぞれの国の平和を保つためには不可欠なのです。
世界の残りの国々とともに、われわれが始めたスタートから前進しようではないか。これほど長いあいだ世界を分断してきた敵意の壁をうちこわし、その場所に理解の橋をかけつづけようではないか。そうすれば、政府の形態の大きな違いはあれども、世界の人々はみな友達になることができるだろう。
世界に弱者が強者と同じように安全である平和な仕組みをつくりあげよう。そのような世界では、お互いが異なるシステムで生きる他人の権利を尊重し、他人に影響を与える人は、武器による力ではなく、アイデアの力でそうすることだろう。
そのような大きな責任を重荷としてではなく、よろこんで引き受けよう。なぜよろこぶかといえば、そのような平和を築き上げるチャンスは、国として関わる最も高貴な努力であるから。なぜよろこぶかといえば、もしわれわれが海外での責任に対処するなかで偉大にふるまいさえすれば、われわれは偉大な国でありつづけるし、もしわれわれが偉大な国でありつづけるなら、本国でのチャレンジに対処するなかでも偉大にふるまうことができるだろうから。
歴史上のいつと比べても、アメリカにおいてよい生活を送るために、われわれは今日より多くのことができるチャンスがあります。よりよい教育、より健康であること、よりよい家、よりよい交通手段、よりきれいな環境、遵法精神をとりもどし、われわれのコミュニティーをより活き活きとしたものとし、そして全てのアメリカ人に神によって与えられた、完全かつ平等な機会の権利を保障するように。
われわれが必要とするものの範囲はあまりに広く、われわれの機会の及ぶ範囲はあまりに大きいので、これらの必要に新しい方法で対処する決意を大胆にしよう。
ちょうど海外において平和を築き上げるには、失敗した古い政策を転換することが必要であるように、本国における新しい進歩の時代を築くには、失敗してきた古い政策を転換することが必要なのです。
海外においては、古い政策から新しい政策へのシフトはわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は平和なのです。
そして本国では、古い政策から新しい政策へのシフトもまたわれわれの責任の放棄ではない。しかしよりよい道は進歩なのです。
海外においても本国においても、これらの新しい責任の鍵は、責任の所在と分割にある。われわれはあまりに長い間、全ての権力と責任をワシントンに集中する試みの結果のもとで生きてきた。
海外においても本国においても、温情主義を見下すような、「ワシントンが一番よくしっている」式の政策から転換するときがきたのです。
人は責任をもっているときのみ、責任をもって行動することが望めるのです。それが人間の本質です。本国でも海外の国々でも、より自分のために行動するように、より自分のために決断するように個々の人を励ましましょう。より多くの場所で責任を分担しよう。他人のために何をしようとしているかを、自分のために何をしようとしたかで判断しよう。
それが今日、私がどんな問題に対しても純粋に政府だけで解決できるものはないと言っている理由だ。われわれは、あまりに長いあいだ間違った約束をしてきたのだ。あまりに政府を信頼しすぎていて、われわれは提供できる以上のものを求めていたのだ。これは思い上がった慢心につながるだけであり、個人の努力を少なくし、政府ができることと人々ができることの信頼を損なう失望と不満につながったのである。
政府は、人々がより自身のために働くように、人々から取る分を少なくしなければならないということを学ばなければならない。
アメリカは政府によってではなく、人々によって成り立っていることを思い出して欲しい。富でなく、労働で、責任を回避することでなく責任を引き受けることで成り立っていることを。
われわれが直面しているチャレンジにおいて、われわれ一人一人はどうやって政府が助けてくれるかではなく、自分が何をできるかをまさに問おうではないか?