《雪国》的英译本作者去世

来源:考试吧发布时间:2013-01-28

  「夜の底が白くなった」という一節はよく知られている。川端康成「雪国」の書き出し、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」に続くくだりである
  “ 夜空下一片白茫茫 ” 这一段广为人知。它接在川端康成《雪国》的开头 ——“ 穿过国境的长长隧道,就到了雪国 ” 这一句的后面。

  エドワード ・ サイデンステッカーさんは英訳した際、「夜の底」という表現を用いなかった。「夜」(ナイト)、「白」(ホワイト)という響きの似た言葉を一つの文章のなかに並べるのが嫌だったという
  爱德华.G.塞丹施蒂把这一段翻译成英语的时候,没有使用 “ 夜空下 ” 这一表述。像 “ 夜 ” ( night )、 “ 白 ” ( white )这样发音类似的语言,并列在同一篇文章里会让人腻烦。

  「夜の底」から生まれる鮮明な印象を思えば、「やはり残しておくべきだった」。晩年の自叙伝「流れゆく日々」(時事通信社)に、ほろ苦い反省の弁をつづっている
  想想 “ 夜空下 ” 这个词所产生的鲜明印象,觉得 “ 还是应该把这个词留下来 ” .在晚年的自述《流逝的日子》(时事通信社)里,塞丹施蒂写下了略带苦涩的反省之辞。

  川端はノーベル文学賞を受賞したとき、「半分は訳者の手柄だ」と称(たた)えた。翻訳にあたっては語句の響きひとつに神経をすり減らし、何十年たっても訳文の瑕疵(かし)をみずから求めてやまない。川端の「半分」はお世辞ではなかっただろう
  川端获得诺贝尔文学奖时,称赞塞丹施蒂说: “ 这个奖有一半是翻译者的功劳 ” .塞丹施蒂在翻译时对语句的一个小小的发音就劳心费神,即使是过了几十年,仍然不断寻求自己译文的瑕疵。川端说的 “ 一半功劳 ” 想必不是客气话吧。

  コロンビア大学名誉教授のサイデンステッカーさんが86歳で死去した。谷崎潤一郎や三島由紀夫の作品を海外に紹介し、「源氏物語」の全訳に大きな足跡を残した、日本文学の恩人のひとりである
  哥伦比亚大学的名誉教授塞丹施蒂86岁时去世了。他把谷崎润一郎和三岛由纪夫的作品介绍到海外,在 《源氏物语》的完全译本里留下了很大的足迹,他是日本文学的恩人之一。

  日本の永住権を得て、東京 ・ 湯島に暮らしていた。「建国記念の日」2月11日が誕生日で、知人たちからはしばしば、前世からの縁ですね、と言わ れた。「その可能性くらいは認めていい気がする」と晩年の言葉にある。
  塞丹施蒂获得了日本的永久居住权,曾在东京汤岛生活。 “ 建国纪念日 ”2 月 11 日是他的生辰,他的熟知常常说,他和日本是从前世就有的缘分。 “ 同意这个可能性,感觉很不错 ” ,这是塞丹施蒂晚年里说过的话。

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