「ても」と「のに」
好きなプロ野球チームを、a「弱くても応援する」とか、b「弱いのに応援する」とか言いますが、両者は似ているようで、どこか違っています。aは「どんなに弱くてもやはり応援する」と言っているように感じますし、bは「あんなに弱いのになぜか応援する」と言っているように感じられます。テモとノニとの違いは何なのでしょうか。
まず、テモしか使えない場合をみてみましょう。「国へ帰っても親切は絶対忘れない」「もしお金があっても買わない」のような想定や仮定の文はノニで言うことはできません。ノニは現実の事態を表すからです。「お金があるのに買わない」と言えば、お金があるのが仮定ではなく、現実の事態ということになります。
ノニの大きな特徴は、予想外の結果を表すということです。「いつも負けるのに今日は勝った」「勉強したのに点数が悪かった」には、「なんでやねん」と言いたくなる予想外の気持ちが含まれています。「なんでやねん」という気持ちが無い場合にノニを使うと、「少し値段が高いのに私は買える」「難しいのにやってみる」のように不自然な表現になります(これらの例はテモなら言えます)。予想外ということが基本にあるので、ノニを使うと、驚き、不満、後悔といった感情を表すことができるのです。
また、ノニは事態が過去か現在か未来かによって、「したのに」「するのに」のように、前につく語にタ形かル形かを選ばなければなりません。「食べたのに太らない」「食べるのに太らない」と、現実にいつの事態なのか言うためです。一方、テモは、「食べても太らない」と、前に付く語が時にかかわらず一定しており、「そのような状況のもとでなお・・・」という条件を表します。簡単にまとめると、テモはある条件(仮想・現実)で依然として生じる結果を導き出し、ノニは、ある事態(現実)から予想外に生じる結果を導き出すということになります。
テモとノニの基本が理解できたら、次には、「留守に誰かから電話がかかってき(たら/ても)自動的に録音できる」「みんなが残業している(ので/のに)帰るわけにはいかない」といった文で、普通なら逆の意味になる「たら/ても」「ので/のに」が、なぜ一つの文で置き換えられるのか、置き換えたときの意味の違いは何か、といったことも分かってくるでしょう。