「~にとって」と「~に対して」
「欧米人に対して漢字は難しい」「子供に対して友達と遊ぶことは大切だ」のように、「~にとって」と言うべきところで「~に対して」と言ってしまうくせが、外国人によく見受けられます。
どちらも使えるようにみえる場合でも、両者の機能は、はっきり違っています。例えば、a「選手にとって厳しい監督」と、b「選手に対して厳しい監督」とを比べてみると、aは「厳しい」が選手側の受ける感覚であるのに対し、bは「厳しい」が監督側の性質を表しているように思えます。また、a「子供にとって有害な図書」とb「子供に対して有害な図書」とを比べると、表している内容は同じでも、aは子供が害を受ける図書、bは子供に害を与える図書、と言っている印象を受けます。そのような違いは、どこから生まれてくるのでしょう。
「XにとってY」と言うとき、Xは、Yのように感じる主体です。したがって、「学生にとって嬉しい」「日本にとって重大問題だ」のように、Xには、感情や利害関係をもちうる、人・国・団体などに関係する名詞が入ります。また、Yには、状態を表す述語が入ります。
一方、「Xに対してY」と言うとき、Xは、Yという動作や意識などが向かう対象です。「学生に対して優しい」「日本に対して抗議する」のほか「市の建物に対して卵を投げる」「応援に対して感謝する」など、Xには人・国・団体ばかりでなく、物や事柄などを表す名詞が来ます。また、Yには、状態を表す述語、動作を表す述語の双方が入ります。
教室での練習の際、「XにとってY」については「XがYのように感じる」という意味関係が理解できるような例文を多く出すと分かりやすいでしょう。Yに入る述語は先に挙げた例のほか、「分かる」「さみしい」「重要だ」「有利だ」「恩人だ」など。また、「Xに対してY」については「Xに向かってYのようにする」という意味関係が分かる例文を出します。Yに入るのは、先の例のほか「答える」「手を振る」「冷たい」「満足だ」などなど。
両者は、中国語で言い表すときにはどちらも「対」という同じ語を使うため混同しやすい、といったことも頭に入れておく必要があるでしょう。