「~だろう」と「~のだろう」
「ば」と「たら」と「なら」
「~にとって」と「~に対して」
「ために」と「ように」
「ても」と「のに」
「ている」と「てある」
「ようだ」と「らしい」
「~だろう」と「~のだろう」
「自分が行けと言われたら、どうするだろう」の「自分」は話し手を指すのに対し、「だろう」の前に「の」を入れて「自分が行けと言われたら、どうするのだろう」とすると、今度は「自分」が話し手以外の人を指すように感じられます。そんな「だろう」と「のだろう」の違いについて考えてみましょう。
まず、a「あの人は泣いているだろう」とb「あの人は泣いているのだろう」を比べると、aは「あの人」がその場に存在せず、話し手が想像して述べていますが、bは「あの人」がその場にいて、話し手がそれを見て推測していると解釈できます。「だろう」が想像に基づく推量、「のだろう」が実態に基づく推量を表している、と言えそうです。
「の」が入らないのはどんな時か考えてみると、典型的なのは、「頼めばやってくれるだろう」「あれだけ勉強したら合格するだろう」「もし女なら俳優になっただろう」のように、予想や仮想を表すときです。ある条件を立て頭の中だけで推測するようなとき、「だろう」の前に「の」は入りません。一方、「きっと財布をなくしたのだろう」「安いからこんなに人が集まるのだろう」「どうして泣いているのだろう」のように、目の前の現実がどうであるかを推測するときには「の」が入ります。実態に即した推量の場合です。
考えてみると、「の」は「イノシシが通るのを見た」「鈴虫が鳴くのが聞こえる」のように目や耳で感知した現実を表すのによく使われます。「のだろう」の「の」もそれと同じと考えれば分かりやすいでしょう。
また、「こんな服、誰が買うのだろう」と言えば、実態についての疑問、「の」を取り「こんな服、誰が買うだろう」と言えば、想像上の疑問ですが、想像上の疑問がさらに進むと、誰も買わないという反語の意味にもなるので、その点注意が必要です。
「だろう」と「のだろう」の違いは、「かもしれない」と「のかもしれない」の違いの説明にも適用できます。「あの人は知っているかもしれない」は頭の中だけでの推測なのに対し、「あの人は知っているのかもしれない」は現実の様子についての推測と言えます。
「の」一つで大いに違います。「の」は強調です、といった説明で済ませることは避けたいものです。