あ
青貝
あおがい
漆工芸品の一種.漆面や木地に貝殻の文様をはめ込んだもので、厚貝を用いたものを「螺鈿(*1)」と呼ぶのに対して、青貝は薄貝を用いる。なお青貝塗というのは、貝殻を種々の形あるいは粉末にし、塗漆に蒔いたりしたものをいう。
*1 らでん
朝顔の茶湯
あさがおのちゃのゆ
朝顔を茶花に用いて催す茶事。千利休が、露地の朝顔の花をすべて刈り取り、見事な一輪のみを床にいけて太閤秀吉を迎えたと伝える。利休の茶湯の感覚をたたえた伝説であろうが、後世盛んに論説されている。
朝茶事
あさちゃじ
茶事の形式の一つ。夏に、日中の暑さをさけ朝の涼しい間に行うのが目的であるから、案内の時間は大体午前六時か七時頃にする。朝の清爽な風趣を楽しむ。初炭に引き続いて懐石、中立(*1)後はたいていの場合続き薄茶で行う。
*1 なかだち
朝日焼
あさひやき
京都府宇治市の国焼。遠州七窯の一つ。慶長年間 奥村次郎右衛門が創始。後、小堀遠州の指導により奥村藤作が茶陶を制作。慶安頃から一時絶え、のちに松林長兵衛が再興.古い会記に「宇治焼」とあるのもおそらく朝日焼であろう。
芦屋釜
あしやがま
筑前国(福岡県)遠賀川河口の芦屋で鋳造された釜の総称。創始の時期は、一説には鎌倉時代初期とあるが、正確な年代は明らかでない。後に工人たちが全国に散逸し越前芦屋?播州芦屋?伊勢芦屋などの分派へと発展していった。
油柄杓
あぶらびしゃく
柄杓での悪い扱い方の一つである。柄杓で水を汲み釜にさす時、しずくを取るために柄杓を上下に振って落とそうとするのが、油屋が油を量り売りにする時の姿に似ているとこらからたとえたもの。「利休居士三十五箇条嫌忌の諭示」に書かれている。
編笠門
あみがさもん
門の一形式。屋根が編笠状をなしているのでこの名があり、独特のわびた趣を見せている。柿葺(*1)?檜皮葺(*2)の屋根が多く、露地の中門などに使われている。官休庵の露地の中門、大徳寺孤篷庵(*3)の方丈前庭にある中門などがこれである。
*1 こけらぶき *2 ひわだぶき *3 だいとくじこほうあん
有平糖
あるへいとう
お茶の干菓子としてよく使われる、もと南蛮菓子の一種.ポルトガル語で「砂糖」の意味で、キリスト教とともに日本に伝来した。砂糖を煮詰め飴のように固めたもので、花や果実などに模して作られる。
安南焼
あんなんやき
安南地方(ベトナム)で製作された陶磁器の総称。ベトナムでは中国陶磁の影響で早くから白磁?青磁が焼かれていたが、14,5世紀からは染付?赤絵の製作も始まった。「絞手(*1)」と呼ばれる安南染付が最も珍重されまた数も多い。
*1 しぼりで
い
井伊宗観
いいそうかん
文化12年~安政7年(1815-60)。名は直弼(*1)。幕府の大老として米国と通商条約を締結、後に桜田門外の変で暗殺された。石州流の茶の湯をよくし、「12ヶ月棗」などの好み道具のほか、「茶湯一会集」「茶湯をりをり草」などの著書もある。
*1 なおすけ
伊木三猿斎
いきさんえんさい
文政元年~明治19年(1818-1886)。備前岡山藩主池田侯の家老で、裏千家の茶を学び、自邸内に利休堂の他、十有余の茶室を設ける。領内に虫明焼(*1)を興し、京都より、仁阿弥道八(*2)、宮川長造(*3)らの陶工を招いて製陶の指導に当たった。
*1 むしあけやき *2 にんなみどうはち *3 みやがわちょうぞう
池田炭
いけだずみ
摂津国(現大阪府)の山中、一庫(*1)?国崎あたりで焼かれた櫟炭(*2)で、切炭としては最上。産地に因み「一庫炭(*3)」、池田で集散したので「池田炭」と呼ばれる。また、切り口の形容から「菊炭(*4)」とも呼ぶ。利休時代よりある有名な炭である。
*1 ひとくら *2 くぬぎずみ *3 ひとくらずみ *4 きくずみ
一月の異名
いちがつのいみょう
「睦月(*1)」=知り人が互いに往来して睦み合うという意味。「太郎月(*2)」=人の子の第一番に生まれたものを太郎というのに倣い、年の初めの第一の月にいう。他に「初月」?「初空月」?「早緑月」?「孟春(*3)」?「正陽(*4)」などもある。
*1 むつき *2 たろうづき *3 もうしゅん *4 せいよう
一行物
いちぎょうもの
茶席での掛物の一種.古くは「ひとくだりもの」とも称した。禅語を竪あるいは横に一行に揮毫したもので、竪一行?横一行の別がある。江戸時代にはいると、大徳寺派の禅僧の筆になる一行物が多く使用されるようになった。
一閑張
いっかんばり
漆工芸の一種.木型を使って和紙を漆や糊で張り重ねたものを器胎とした漆器をいう。軽くて変形せず、ざんぐりした味が保たれる。飛来一閑(*1)の創始と伝えられ、千宗旦が好んだ。棗?香合?喰海颗镂铯胜嗓硕啶ぁ?/p>
*1 ひきいっかん
一客一亭
いっきゃくいってい
「独客(*1)」ともいう。主客一人ずつで催す茶事のこと。親しい間柄の者同士であることと、いずれも老練の茶湯者でないと至難といわれている。「南方録」の利休会記には3例あり、「利休百会記」では25例を見ることが出来る。
*1 どっきゃく
伊藤左千夫
いとうさちお
元治元年~大正2年(1864-1913)。歌人?小説家。正岡子規に師事し、歌誌「アララギ」の中心となり、「野菊の墓」などの小説を書いた。若い頃から茶湯を学び、晩年には「唯真閣」という茶室を設けた。茶湯に関する歌も多く残す
井上世外
いのうえせがい
天保6年~大正4年(1835-1915)。名は聞多(*1)、ついで馨(*2)と改めた。長州出身で、倒幕邉婴违戛`ダーとして活躍.元老として明治の政財界に重きをなした。茶湯に親しんだのは益田鈍翁らの誘いによるもので、邸内に東大寺四聖坊八窓庵の茶室を移築.
*1 もんた *2 かおる
今焼
いまやき
古製の器に対して新しく焼かれた物を指す。天正年間には「今ヤキ茶碗」が「宗湛日記」などにみえる。その後も「今ヤキ」の香合?肩衝?柰毪胜嗓姢椁欷搿@輹r代に焼かれた楽焼などはその代表的なものといえる。
う
埋火
うずみび
不用の間、火持ちをよくし火種を絶やさぬために、炉中や火悚位黏蚧窑歉菠盲皮⒈匾藦辘袱茠ⅳ皮牖黏韦长取2枞摔铣8颏薄⑼獬鰰rには埋火にして助炭をかけておくのが心構えの一つとされる。
梅の井
うめのい
名水の一つ。今日庵(裏千家)内に在る。西陣方面に数ある名水の一つで、名だけしか残っていないものや形だけをとどめているものの多い中で、これは今日庵の稽古用に日毎汲み上げられ、名実ともに昔ながらの清澄を湛えている。