わたしももう48歳で「お若いですね」とお世辞を言われるような年顷になった。もちろん、そのようなお世辞はたいてい闻き流すが?ときには「若くないよ。昔なら人生50年、もうすぐ终わりだ」と①言い返すこともある。そのようなことを言われ始めるのは?人びとにわたしが老人と见られ始めたということに过ぎないからである。
それは?自分が自分を见る场合にも言えることで、「自分は(②)」と思いはじめたら、それは(③)しるしなのである。実际?若い人は「自分はまだ若い」なんて思っていないし、むしろ「もう歳だ」と言うようなことを言いたがる。それが老いはじめると「自分は若い」と言い出すわけで、たいていの老人は自分は実际の年齢より若く见えるし、たとえ若く见えなくても本当は精神的にも肉体的にも若いと信じている。④自分は実际の年齢よりも老けていると思っている老人にお目にかかったことはまだない。
たしかに老化の进み具合は人によって异なり?年齢の进み具合と必ず市も一致しないが、ほとんどの老人が実际より若いと言うことは论理的におかしな话で?それなら?実际の年齢通りに老けている老人のほうが例外だと言うことになってしまう。⑤そんな马鹿なことはない。老人がそう思っているのが希望的観测に过ぎないことは明らかで?自分の状态よりさらに老けている状态を胜手に「年齢相応」と决め込み?それと自分を比较しているに过ぎない。
つまり?老人になればなるほど自分は若いと思いたがるわけで、したがってこのことから当人の老化の程度を判定できるのではないかとわたしは考えている。かりに老化指数と言う言叶を使えば、⑥(老化指数)=(暦年齢)-(当人が思っている年齢)という方程式が成り立つ。たとえば15歳の人が自分はもう一人前のおとなで?20歳で通ると思っていれば老化指数はマイナス5、20歳の人が自分は20歳程度と思っていれば老化指数は0、40歳の人が35歳程度思っていれば5、60歳の人が50歳程度だと思っていれば10である。ここに自分は50歳と変わらないと思っている70歳の人と、自分は60歳ぐらいには见えると思っている同じく70歳の人がいるとすれば、老化指数は前者が(⑦)、後者が(⑧)で、前者のほうが二倍もより老化しているわけである。「近顷の若者は」なんて言うと老いた证拠と笑われるかもしれないが、⑨近顷の若者には、はたちを过ぎたばかりなのにもう「おじん」または「おばん」になったと叹き、10代にみられたがる者が、22歳の者が自分は18歳に见えると思っているとすれば老化指数は20代にしてすでに4である近ごろ、そういう若者が多いと言うことは、一方では若者の幼児化がいわれているが?他方では早くから精神的に老けこんでいる证拠ではなかろうか。
(注1)「もう歳だ」:「もう老人だ」
(注2)老化指数:老化の程度を示す数字
(注3)暦年齢:実际の年齢
(注4)おじん:おじさん
(注5)おばん:おばさん
问1①「言い返すこともある」とあるが、なぜだと考えられるか。
1お世辞を言われるような年顷になったから
2自分の人生はもうすぐ终わりだと考えたから
3老人と见られ始めたことを意识させられるから
4お世辞を闻き流すのは相手に失礼だと思ったから
问2(②)と(③)に入る组み合わせとして?最も适当な者を选びなさい。
1②もう歳だ③若い
2②もう歳だ③老人になった
3②まだ若い③若い
4②まだ若い③老人になった