旅に出るときカメラは一応持っていくけれど、実際に写真を写すことは少ない。
大袈裟な主義主張があるわけではないけれど、わたしにとっては邪魔になることのほうがはるかに多い。その理由はーーカメラを持っていると、どうしても写真がとりたくなる。いや、とりたくなるというより取らなければいけないような義務感が心のなかに生ずる。
ーー「A」——と思って感銘した次の瞬間、ーー「B」——そんな意識が脳裏に蠢いて、これがわずらわしい。
そればかりではない。いったんシャッターをおしてしまうと、ーー「C」——といった気分が心を占め、目の前の佳景をしっかりと観賞し、記憶に留めおくという作用がどうしても甘くなる。中途半端にながめて、あとは後日写真ができあがったときに委ねてしまおうという心理が働く。
これがどうも風物を観賞するうえで間違った道のような気がしてならない。
私自身が入江泰吉さんとか浅井慎平さんとか、一流カメラマン並みの撮影技術を持っているのならよいけれど、実力は安いカメラでスナップを写す程度のもの。後でできあがった写真は絵葉書にも①遠く及ばない。結局のところ、景色をろくに見なかったこととさして変わりがない。そんなことなら初めからカメラなど当てにしない方がいい。数年前にそう悟って、以来めったに写真をとらなくなった。
カメラはないとなると、観賞法そのものもおのずと厳しくなる。②余計なことを考えずにすむから、心ゆくまで賞味することができる。
しかも、これから先にのべることは自分でもはっきりと断定できない微妙な心の作用なのだが、カメラがなければめのあたりに見たことをハーフ?メードの形で文章化しておくという仕事も、無意識のうちでやってしまうようだ。
ーーこの風景を小説の中で描写するとしたらどう書くだろうかーー頭の片すみでそう考え、完全に文章化することまではしないが、なにかしら頭の中に文章に近い形に変えて貯蔵するようになる。
ハーフ?メードというのは、その言葉の語義からいって50パーセントほど製品化することだろうから、わたしの場合はとてもそこまではやらないけれど、10パーセントか20パーセントくらい(③)を自分の表現に変えて脳裏に記録するところがあるようだ。これがあとで小説やエッセイを書くときに役に立つ。
④こんな作用は一般の人びとにはあまり必要なことではあるまいが、旅先で写真を撮ることにばかり夢中になっている人を見るとーーあんなことで風物をよく観賞することができるのだろうかーーと、不思議に思わないでもない。
注1感銘:深い感動注2脳裏に蠢く:頭の中で動き出す注3佳景:いい景色注4委ねる:任せる注5入江泰吉、浅井慎平:有名な写真家注6さいて:それほど注7心ゆくまで:気が済むまで問1「A」「B」「C」に入る組み合わせとして、最も適当なものを選びなさい。
1A)いい景色だなあB)うん、これでいいC)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあ2A)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあB)いい景色だなあC)うん、これでいい3A)うん、これでいいB)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあC)いい景色だなあ4A)いい景色だなあB)ああ、そうだ。写真に写しておかなくちゃあC)うん、これでいい問2①「遠く及ばない」とはここではどういうことか。
1)写真も絵葉書も実際の景色のすばらしさにはとてもかなわないこと2)自分で撮った写真より絵葉書のほうがはるかにすぐれていること3)自分のカメラでは絵葉書のように遠くの景色がうまく撮れないこと4)絵葉書よりも自分で撮った写真のほうがずっと価値があること問3筆者は自分の撮影技術をどのように思っているか。正しいものを選びなさい。
1)カメラなどもつ資格はない。
2)それほど上手だとはいえない。
3)絵葉書の写真程度には写せる。
4)かなり高い撮影技術を持っている。
問4②「余計なこと」とはどのようなことか。
1)景色を十分に味わわなければならないということ2)景色をしっかり記憶しなければならないということ3)景色を写真に撮っておかなければならないということ4)景色を文章で表しておかなければならないということ問5(③)に入る適当なことばを選びなさい。
1)写した写真2)頭の片すみの文章3)眼で見たもの4)微妙な心の作用問6④「こんな作用」とはどのようなことか。
1)風景をある程度文章にして記憶すること2)風景を深く観賞し、記憶に留めること3)風景をテーマに小説やエッセイを書くこと4)風景の写真を撮ることに疑問を感じること問7筆者にとってカメラのない旅の利点は何か。
1)写真の代わりに文章の形で残るので小説などの作品がふやせること2)無意識のうちにハーフ?メードの文章を書く技術が進歩すること3)一流カメラマン並みに写真を撮れたかどうか心配しなくてもいいこと4)風物を十分観賞できるうえに、ある程度文章化して記憶できること問題Ⅱ次の文章を読んで、後の問に答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当な者を一つ選びなさい。
仕事のことで、あなたは同僚の村山氏に助けを求めた。村山氏は自分の仕事を犠牲にして、時間もお金も使って助けてくれた。しかし結果は、あなたの窮状をわずかに救ってくれたにすぎない。他方、あなたは小沢氏にも助けを求めた。小沢氏は電話1本で、窮状を救ってくれた。さて、あなたは二人のどちらにより強い恩義を感じるだろうか。
対人心理学では、恩義の強さはコストとあなたが得た利益で決まると考える。
コストとは、相手があなたを助けるために費やした時間やお金、もろもろの犠牲のことである。利益もお金や物とは限らない。地位や名誉、失わずにすんだ面目の場合もあるだろう。