小语种日语:一级阅读5

来源:考试吧发布时间:2013-01-27

死体ははたしてだれのものか。

  自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実際に自分で主張することはできない。

  法的には、そこはどうなっているのか。それを私は、実は知らないのである。職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、無論常識的には、死体は、遺族のものである。

  しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずであるか。そんな議論は、聞いたこともない。

  こういう議論自体が不謹慎だ。ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体にかかわる多くの問題の背景となっているからである。

  こうした常識を考え、それと戦うことは?決して容易ではない?私は死体を扱うのが仕事だから?そうはいっても、それを考えざるをえない。したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。

  こうした漠然とした常識.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない。私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向かいてしまった。

  遺族だって、決して明瞭ではない。しばしば複数の遺族が出現することがあるからである。東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する。こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、実は反対だ」という親族が現れる。これは、われわれがいちばん困惑するケースである。

  事前に十分に調べろといったって、よその家族の事情だから、それは困難である。解剖を承諾しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。

  遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである。仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。

  注1遺族:死んだ人の家族や親類

  注2遺産:死んだ人が残した財産

  問い1文中の1~7の問いに対する最も適当な答えはどれか。1,2,3,4から一つ選びなさい。

  1、「自分」とはだれか。

  1)死んだ人

  2)死んだ人の親

  3)死んだ人の子供

  4)解剖する医者

  2、「もの」とは何か。

  1)法律  2)権利  3)死体  4)職業

  3、「怒られそうだが」とあるが、だれが怒られるのか。

  1)死体  2)筆者  3)遺族  4)子供

  4、「そんな議論」とは、何についての議論か。

  1)死体を分けること

  2)子供を分けること

  3)遺族を分けること

  4)家族を分けること

  5、「それ」に含まれる内容として適当なものは、次のどれか。

  1)明確に定義できない常識

  2)自分の仕事のやり方

  3)死体をめぐるトラブル

  4)死ぬことの意味

  6、「こうしたケース」とは、どんな場合か。

  1)解剖を承諾した遺族に、感謝の言葉を言わなかったような場合

  2)解剖が始まってから、解剖に反対の遺族が現れるような場合

  3)「田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」と聞いた場合

  4)遺族全員が解剖に反対している場合

  7、「必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる」とあるが、文章中の何によって、それが「よくわかる」のか。

  1)いぞくがしばしばたんすうでないこと

  2)常識と日本文化には関係があること

  3)遺族の意見を十分に調べるのが無理なこと

  4)遺族に筆者が殴られたりすること

  問い2この筆者の職業として、最も可能性の高いものは何か。

  1)作家  2)弁護士  3)日本文化研究家  4)医者

  問い3最近筆者は主にどんなことに関心を持っていると考えられるか。

  1)死ぬ権利をめぐるさまざまな議論

  2)遺産相続に関する常識

  3)死体にかかわる常識の文化的背景

  4)解剖技術の発展の歴史

  問題2次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい

  私の知っている寿司屋の若い主人は、なくなった彼の父親を、いまだに尊敬している。死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親追憶もそれではないかと聞いていたが、そのうち考えが変わっていた。

  高校を出たときから彼は父親にすしの握り方、飯の炊き方ーー寿司屋になるすべてを習った。父親は彼の飯の炊き方が下手だとそれをひっくりかえすぐらい厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句は言えない。だがある日、たまりかねて「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」ときくと、「おれの子供だから辛く当たるんだ」と言い返されたという。

  父親が死に、一人前になって店をついで見ると、その辛く当たられた技術が役に立ち、なるほど、なるほどと彼は分かったそうである。

  私はこの若い主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。そこにはわれわれがある意味で理想とする父親と子供の関係があるからである。

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