2011年日语等级考试N1阅读练习(3)

来源:微学网发布时间:2011-07-05

  同じ一つの事柄でも、表现のしかたで大いに印象が异なってくる。学生たちに、「私たちの人生はたかだか100年、短いものだ」と言っても同意の反応はない。100は小さい数だが、「年」は长いと感じているから、100年は短くないのだ。しかし、「私たちの人生はたかだか30亿秒、短いものだ」と言い换えると「おや!そうだなあ」という顔つきになる。目の前を刻々と流れる「秒」という时间は极めて短いから、30秒という大きな数でも相杀できないからだろう。(中略)
  どんな话题でも、数字を挙げると正确そうに见えるが、その数と単位の组み合わせによって、わかりやすくも、わかりにくくもなる。その使い分けに十分注意する必要がある。数字が出された根処とともに、数の単位に注意しておかないとごまかされることがあるからだ。実感を伴わない巨大な数か、いかにも大したことがなさそうな小さな数字で烟に巻いてしまう手口が、よく使われている。
  交通事故数を例にとってみよう。日本では、1年で约1万人が交通事故で亡くなっている。好调阪神で満员になった甲子园の観客5人に1人が(つまり、あなたの前後左右の谁かが、いやあなた自身かもしれない)1年のうちに亡くなり、5年で観客がゼロになるくらいの多い数である。しかし、1日にするとほぼ30人で、それを1つの都市にするとゼロか1人だから、「今日の交通事故数」が警察署前に掲示されても人々は大きな数とは思わない。つまり、あの掲示は、交通事故の恐ろしさを伝えているのではない、逆に交通事故は少ないのだと安心させており、かえって事故を増やす効果になっていると言えるだろう。
  去年、戦後の交通事故の死者総数が50万人を超えたという报道があった。日本は、事故から24时间以内の死者しかこの総计に入れないが、国际的に主流となっている30日以内の死者数とすると60万人を超えるだろう。この数は静冈市や新泻市のような地方中核都市の人口に匹敌し、それだけの数の人々がすべて交通事故で姿を消してしまったことを意味する。このように积分すると「交通戦争」という言叶が実感できる。警察署の前には、せめてこの累积死者数が掲示されてしかるべきだと思う。
  クルマ社会の异常さを感じている私だから交通事故数を话题にしたのだが、このような数字のトリックはどこにでもころがっている。なぜそのような数字としては発表してのかを考え、発表者の意図を见抜くことが大事だと思う。
  问1「大いに印象が异なってくる」とあるが、たとえばどのように异なるのか。
  1)100年と30亿秒は同じ长さなのに、30亿秒と言うと长く感じる。
  2)100年と30亿秒は同じ长かなのに、30亿秒と言うと短く感じる。
  3)100年と30亿秒は异なる长かなので、30亿秒と言うと长く感じる。
  4)100年と30亿秒は异なる长さなので、30亿秒と言うと短く感じる。
  问2「いかにも大したことがなさそうな小さな数字」の例は、次のどれか。
  1)一年间に交通事故で死亡した人の数。
  2)甲子园に野球を见に来た観客の数。
  3)自分か自分のとなりにいる人が死ね确率。
  4)警察署の前にある「今日の交通事故数」。
  问3「あの掲示」とあるが、それにはどのような问题があると笔者は考えているのか。
  1)警察署がある地域では交通事故が少ないから、心配しなくてもよさそうだと思わせていること。
  2)掲示されている交通事故の数があまりにも大きいので、かえってその现実が実感で。きないこと。
  3)掲示は交通事故が少ないという印象を与え、事故を减らす効果を上げていないと思われること。
  4)交通事故の恐ろしさよりむしろ、自分が事故にあわなかったという安心感を与えてしまうこと。
  问4「このような数字のトリック」とあるが、どのようなごまかしか。
  1)人生の长さを述べてから交通事故の问题に论を展开すること。
  2)部分的な数字だけを见せて、全体の数をわかりにくくすること。
  3)野球の観客数を使って、交通事故の死者数を説明すること。
  4)国内の数字だけ见せて、国际的に比较した数字を见せないこと。
  问5 交通事故の死者数の示し方について、笔者はどうすれば最もよいと考えているか。
  1)警察署の前に掲示してある交通事故数には真実を书いた方がよい。
  2)警察署の前の交通事故数は役に立っていないので掲示しない方がよい。
  3)警察署の前には戦後の交通事故による死者数の合计を出した方がよい。
  4)警察署の前の交通事故数には、事故から30日以内の死者数を出す方がよい。
  问6 戦後の日本の交通事故による死者数について、笔者はどのように感じているのか。
  1)「戦争」と言ってもいいほど死者が多い。
  2)一都市では1日ゼロか1人だから、少ない。
  3)50万人では多くないが、60万人は多い。
  4)国际的に比べても、人口の割りには少ない。
  问7 笔者は数字を使った説明について、どのように考えているか。
  1)数字を使った説明にはごまかされやすいので、信用してはならない。
  2)数字は単位によって受け取り方が异なるので、説明には使わない方がよい。
  3)たとえ正确にみえる数字でも、それの持つ意味を注意深く読みとるべきである。
  4)けいさつが発表した数字でも、ごまかしもあるので、资料としては使わない方がよい。
  问题2 次の文章を読んで、後の问いに答えなさい。答えは、1、2、3、4から最も适当なものを一つ选びなさい。
  変わった趣味をいくつももっている人に会ったので、いろいろ质问して教えられたことがある。ある単调な趣味について、そんなことが面白いのですか、と闻くと「何でもそうだが、一生悬命やれば面白い」という答えだったのて感心した。この人は趣味についてよくわかっている人だと思ったのだが、それは、趣味のみならず仕事でも同じであり、结局、人生全体についても同じなのだろうと思う。
  何か面白い趣味はないかという人がいるが、一生悬命やらないのなら趣味はみんなくだらなくてつまらないのにちがいない。ゴルフでも、碁でも、钓りでも、テニスでも、何でもそうだが、下手でも一生悬命やる人と一绪になったときは、気持がよいのはだれしも経験があるところである。ボヤイたり、批评したりしながらやるのでは、本当の面白さはその人から逃げていってしまう。面白さや幸福は自分の内部から涌いてくるものであって、外部に存在するものではないからである。(中略)
  そういう点からいうと、仲间の目をいつも意识している日本人は、なかなか一つのことに热中できない。周囲から何かいわれるのが恐いので、それへのいいわけを考えたり、逃げ道をあらかじめ作ったりするので、热中する幸福は知らないまま一生を终わってしまうのが普通になっている。それだけならまだよいが、时には他人にも同じことを要求して何かに热中している人がいると、いろいろそのアラ探しをする。アラとして出る理由は、仲间への交际が粗略になっているというのがいつも第一で、仕事をしていないのではないかというのが第二である。
  そういう空気のなかで生活すると、人はだれでも知らずなうちに、
  (1)弱者演出
  (2)被害者演出
  (3)不器用演出

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